プロジェクトストーリー
CASE 03
hacomoのヒミツ、教えます。
「変なものばかりつくってくる」社員との出会いが誕生のきっかけ
今や『段ボール素材を使って面白いアイテムを次々生み出すブランド』として認知されてきたhacomoがフジダンの一事業から誕生したというのはご存知でしょうか。
話は、平成まっただ中の西暦2000年ごろまでさかのぼります。もともと段ボールという素材を使ってパッケージ以外のものが創れないか。そう考えていたフジダン社長。「中小企業というのは同じことだけをやり続けているとどこかで苦しくなる時がくる。その時のためにほかの土壌を耕しておかなければ」という思いから、常に何かできないかな、と考えていました。ただし、段ボールという市場はほぼBtoB。個人消費者に対して販売する商品は過去成功した試しがないというのが現実。ですが、そこはフジダン社長。だったらなおのこと、販売エリア、市場を広げるためにもBtoCをやってみたいという欲求が湧いていたのです。
そこに新卒で入社したのが、現在hacomoの代表取締役社長を務める岡村という人材。段ボールの設計者として入社したはずが、設計そっちのけで変なものばかり創っていたそう。その作品を見て、設計だけでなくデザインセンスもあるようだし、ある程度のものを作れるのかなと思った社長が、自由にさせてみたら、次々とアート作品を作るように。こんなものを作ってみてという要望に応えて期待以上のものを仕上げることも。
そのひとつが、手のひらサイズのダンブタ。これをお客様に配ったところかなり評判がよく、さらに十二支をノベルティにしたら、これまた反響がいい。これはいけるのではないか。フジダン社長が考えていた新しい市場、BtoCとマッチングしたことにより、社内でD−プロジェクトという部門が生まれました。
hacomoとして独立することになったのは2009年。その当時、D−プロジェクトに携わっていた3人で新会社を設立することに。別会社にした理由を「このまま一部門として企業の中にいると埋没してしまうから」というフジダン社長。製造業であるフジダンの評価軸と、hacomoのように創造するビジネスでは評価する部分が違います。同じ組織のなかにあると採算が全くチェックできない。費用の支払いや請求が一緒になっていると、採算が明らかにしにくいのです。「ビジネスとして儲かっているのかどうかがわからないのでは評価もあがりにくい。別会社にすることで評価軸が明確になって、独自の評価軸を持つことができる」そう考えたことがhacomoの誕生につながったのです。
フジダンの理念は、『おもしろいで未来を拓く』。まさにそれを形にしたのがhacomoという存在でした。「hacomoは誰もが面白いと言ってもらえる自信があった」。といっても、感覚としていけるという確信もなかったので、当初は全員が不安がっていました。だからこそ、初代社長はフジダン社長が引き受けることに。初年度から利益が出るとは思えないし、だとしたら借り入れが必要になる、その時の借り入れ要員です。不安がる社員に「ダメだったら帰ってくればいい」と伝え、スタート。しかし、蓋を開けてみると、初年度から利益が出たので、現社長に経営をバトンタッチ。そこから先はhacomoとしてのストーリーになります。
「独立することによって責任感が生まれ危機感を持つ、赤字を出したらどうしよう、自分たちの未来をどうしようというふうに意識が変わっていく。社員ではなく経営者の視点を持つようになる。それが一番大きかった」というフジダン社長。長期的な戦略を持つようになる。自分で考える。そこから始まったhacomoは、この先も面白いを体現していくはずです。
独立にあたり「私は経営者だからいろんなこというけれど、聞かなくていい。参考にできるものは参考にすればいいけど、指示ではなく、あくまでも意見。自分たちでやりたいようにやればいい」そう伝えたというフジダン社長。でも僕らは全然驚きません。だってこれ、フジダンの社員にいつも言っていることと根底は同じですから。